言論の限界

ここから先の記事はエイプリルフールとは一切関係ないです。

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これから暇を見てブログに色々と後書き的なものを書いていこうと思うんだけど、
最初におことわりしておくことがある。

俺がここに書いていくことは、地元鯖江の人間関係構築において、
どうしても、ギリギリアウトっぽい内容を避けることが出来ない。

このブログを止めるつもりなのは本当だけど、
ひょっとすると、ゆるい移住が終わった後だから書けることもあるかも知れない。
でも、断じて言うけど、悪意で書いているわけじゃないことを、なんとかわかって欲しい。

たとえば、「市長」というキーワードは、最終的にNGワードになっていた。
ひょっとすると「一方的にお慕いしております」みたいな内容なら問題なかったのかも知れないけど、
「市長がこのブログをFacebookでシェアしている」という事実すら、
腫物を触るように扱われている可能性を感じていたので、市長の話は出来なかった。

鯖江の人は(行政批判をしている人でさえ)市長のパワーを肯定していたし、
俺も市長のことは、とっても好きなのに、それをブログに書けないことは悔しいと感じた。

なんていう心境を吐露出来るのは、ゆるい移住が終わってブログを閉じるまでの今だけだなと。

「そんなことがあったんだ。市役所ってひどいね!」って感想を持つ人もいると思うけど、
前にも書いたけど、担当さんを始め、市役所のみなさんはギリギリまで許容してくれたと思う。
だから、こうやって書いたことを、非難目的だとは解釈しないで欲しいの。

まあ、そんな感じで書いていきます。

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そしてもうひとつ。
俺は半年間の生活をしたことで、沢山の情報を得たと思っているけど、
たぶん、みんながイメージしているほどは、個人の情報には明るくないと思う。

だから、噂話とか、また聞きの話から、相手がどう思っているか想像して書くしかないんだけど、
その情報や判断自体が間違っているかも知れない。
「決めつけに感じるけど、これは全然違うなあ」と感じるものがあれば、
単に俺がその人のことを誤解しているだけなのだと思う。

なので、俺が書いたことを個人への評価基準にしないで欲しいのです。

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俺の実感として、「田舎で人と仲良くすること」と「自分の意見を述べる」ことは、相反する。
そこには言論の限界があると思う。

言論の限界がある事自体は、別に良いことだと思うの。
日本人は感情で動きすぎだとは思うけど、正論で動くより気持ちいいんだから、仕方が無い。

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