さらに変化する

前回と今回の記事は、悩んでいるだけで終わってしまった感があるな。


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俺は、この半年で得た新しい暮らし方というのは、未知の体験であり、未来的だと思っていた。
でも色々と情報収集をしてみると、意外とそうでもないっぽい。

特にFacebookは自分と近しい人の情報しか流れてこないので、だいぶ偏っているけれど、
それでも全国各地で「サラリーマン辞めてみたらすっきりした」とか、
「空き家をタダで貰った」みたいな話が大量発生していて、悪く言えば優越感が無くなった。

まあ良く言えば、仕事を辞めて空き家にタダで住むのなんて、誰でもやれば出来ることなのだろう。

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当初、俺はこれを「資本主義からの脱却」と呼んだ。

資本主義ってのは、突き詰めれば、「お金を増やす約束」だ。
株主様の1千万円を、10年後には1億円にして御覧に入れましょう、ってのが社長の仕事で、
私のために30万円使えば、100万円の利益を出しましょう、ってのが社員の仕事だ。

会社でかくするの無理じゃね? とか、売り上げ伸ばす余地なくね? って思ったら終わりなのだ。
で、終わってる事実を認められないから、破綻するまで、頑張っているふりをする。
本人は真剣に頑張ってるのかも知れないけど、成果があがらないなら、やってないのと同じだ。

別に政権批判をする気はないけど、考え方に「古い」「新しい」の線引きをするなら、
「経済成長が出来なくなっている現状を認めるかどうか」が境界線になるんだと思う。

だから、資本主義を否定するわけじゃないのだ。
自分だけが年利10%で絶対確実に運用できるネタを持っているなら、運用しないのはアホだ。
でももう、そんな儲け話も無くなってきたから、手じまいにしようね、ってだけの話なんだと思う。

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「働きたくない」も同様で、労働に価値が無くなっているから、しないだけなのだ。

会社に入って、生産的な仕事をして、十分な報酬を貰うということが、もはや当たり前ではない。
そうなると尚更、生活費だけ貰えば、あとは関わりたくない、という意識になっていくのだと思う。

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じゃあ、金にも労働にも投資価値が無い、と考えた末に、どこに行きつくのか。

先進的だと思っていた人のほとんどは「モノを貰って過ごす」という結論に行きついている。
これは実際に、なかなか良い。
寄贈文化だとか、名誉だとか、共生みたいな、幸福感のある概念を刺激する立ち位置だと思う。
人のために働いて、余ったものを融通しあい、無理な約束をせずに過ごすのだ。
そういう人が地域社会に居ることによって、みんなが幸福を意識することが出来る。

でもこれは「働かないアリ」のような存在意義なので、そんなに大勢は要らない。
それに、幸福感を刺激するという機能を除けば、やってることは穀潰しのニートそのものだ。

自分だけがそうしているならともかく、日本中で新しい暮らしが流行るのは問題かも知れない。
とりあえずダイバーシティと言って済ませられるうちは大丈夫だろうけど、
情報化社会によって、人の価値観が多様化するのはもともと自然な事なので、
どのみち「労働に人生をささげるのが当たり前」というタイプの人は減っていくであろうから、
社会全体として、変化に耐えうる体制になっていかなきゃならない。

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だとすると「ゆるい移住」という肩書きは、市役所に返納して後釜に使って貰うものだし、
団地でパーティーやって地域住民の交流活性化なんて機能は、誰でも引き継げるだろう。

まあ、それはそれとして、俺たちもパーティーを開くと思うけど、それはもっと自由なものになる。
それに俺たちは、もっと違うこと、さらに新しいことが出来るようになる。

自分たちの立ち位置を、もう一歩未来に押し進めるには、何をやっていればいいだろうか。

空き家の清掃管理業者になろうと思ってたんだけど、
2020年に法改正あって、ほとんど壁で締め切った家以外は作れなくなるんですってね・・・。
という感じで、アイデアを考えては消している。前途多難だ。

でもこれって「考えてから住む」ことじゃなくて「住んでからわかる」事のような気もするけどね。
「変化を楽しもう」って気持ちだけ持って生きていけばいいんじゃなかろうか。
だとすると、自分にとってのゆるい移住ってのは、半年で終わらないって事になってしまうなあ。

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