モノの無限化

哲学とは何か、みたいな範囲も含めて、だらだらと語ります。


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この記事は、以下の記事に対する、やや否定的な意見を持つ読書感想文です。

チームラボ猪子寿之氏が家族のつながりが不幸をもたらす理由を語る - ログミー
http://logmi.jp/81624

あんまりIT業界の特定個人に関わる話はしたくなかったんだけど、
自分の言葉で書きなおそうとしたら、なぜその話題を持ち出すかが伝わらないと思ったので、
やむなく読書感想文の形で書くことにしました。

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「人間しかやらないこと」が無い、と書いてあるのだけど、それは違うと思う。
飯作って食うだけでも、人間にしか出来ないことだし、動物が自分探しをしてないとも言い切れない。

つか、哲学しかやらない人間の言うことなんて、誰の役にも立たないので、意味無いんでないの。

テレビを見ることは動物にだって出来るけど、
テレビを作って普及させるということ、大勢にテレビを見せたいという考えを持つことは、
物事を客観視した結果得られた、実践的な哲学の発露なわけで、
それこそが「人間しかやらないこと」なんじゃなかろうか。料理も同じよね。

テレビはもはや陳腐だけど、テレビを否定すると、技術的革新を肯定できなくなると思うなあ。

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「自分とは何か」を考えるチャンスって、今の所、バランスが悪いと思うんだよね。
暇になった人はすげー暇なので、一日中考えが頭から離れなくなる。鬱っぽくなる。
忙しい人は全然考える暇がないので、まったく冷静にならないで日々を過ごしている。

技術の発展が人に考えるチャンスを与えるかというと、そこはあんまり相関は無さそう。
インターネットがあると、人は「ネットに縛られた思考」をするわけだし。

それよりも、貧困格差を解消するとか、労働者を保護するとか、
社会経済の仕組みを見直すことのほうが、人に考えるチャンスを与えられるような気がする。

まあ前述のとおり、俺は抽象的に考えるってこと自体があんまり意味無いと思ってるけどね。
貧困問題について考えるより、腹が減ったら飯を食うことについて考えるほうが、万倍意味がある。
その上で、頭のいい人が抽象論を使って計算して、みんなが飯を食えるようにすればいいんじゃないのかね。

うちの部屋の雑談だって、このブログだって、めっちゃ哲学してるけど、
それでもやっぱり旨い飯を食って「うまいうまい」とみんなで喜ぶ事のほうが、生き甲斐を感じるよ。

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創造的じゃない仕事ってのは、俺はたくさん残ると思うし、残っていいと思う。

最近たまに「5年後には無くなる仕事」みたいな記事が話題になるけど、的外れだなーと思って見ている。

一番ケッサクなのが「コンピューターの発達によってプログラマーが要らなくなる」ってやつ。
プログラムを実行しないコンピューターに存在価値はあるのか?
自分が生活していく上で、いろんなコンピューターのお世話になってるのが想像できないんだろうね。
自分のおうちにコンピューターがいくつあるのかを勉強した鯖江の小学生のほうが頭いいわ。

自動運転車が出来てもタクシーは無くならんし(代行は廃れるかもな)、
翻訳ソフトが発達しても、それをチェックする人は無くせない。

今までだって、そうだったんだよ。
会計ソフトを作ったけど会計士は居なくなってないし、
毎年の法改正でバージョンアップしたソフトを買わされて、別段コストダウンにもなってない。

「法改正に自動的に(開発不要で、という意味ね)対応するソフト」が作れれば、
会計士の要らなくなる世界に一歩近づくかも知れないけど、
税務署の通達に自動的に対応する仕組みを考えるよりは、
租税システムそのものを最初から電子化する方法を考えたほうが合理的だ。
エストニアなんかは、電子政府を実現してるんですってね。

無くなる仕事と言えば、TPPによって洋物のエロビデオを輸入する際に、
モザイクをかける手間が必要になることが輸入障壁になるから、
日本でも無修正ビデオを解禁しろ、って言われる可能性があるんだって。
そうなると、モザイク職人の仕事が無くなっちゃう。

でもそれって技術の発達じゃなくて、社会制度の問題でしょ。別に創造的でもないし。

それに、創造的じゃないことは別に悪いことではなくて、
自分が存在するために何か新しいと言われるものを作らないといけなかったり、
華美な恰好して目だったり、変な言動で炎上させたりしなくていいってことだ。

畑で自分の食いたい野菜を毎年同じように手作業で作ってたって、
車持ってない人のためにタクシーの運ちゃんやって日銭を稼いだって、別にいいじゃんね。

プログラマーを世の中から無くす唯一の方法は、全員でプログラミングをすることだよ。
自分の家を自分で建てることが当たり前になれば、大工さんの失業率がすごく上がるってことだね。

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人々が物質から解放される、って概念の効用については、ぴったり同感だな。
デジタルデータって、資産価値は全くないと思うけどね。というか、あってはいけないというか。
今は過渡期だから、ハードディスク買って、データ詰め込んで、所有してる感を味わってるけど。

モノとして持っていなければならないものは、意外に少ない。

俺は頑張って断捨離してダンボール箱5つ分くらいの荷物で鯖江に引っ越してきたけど、
ルームメイトはほとんど鞄一つ二つで平然と暮らしてるんだよね。かなわんなあ。

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貨幣経済が弱まるってところも同感なんだけど、理由がちょっと違うかもしれない。

貨幣経済が、無理矢理、有限のものを無限にしてきたんじゃなくて、
世の中には少々の「有限にせざるを得ないもの」と、結構な量の「無限にできるもの」があって、
貨幣経済が「有限のもの」を支配している、というのが現状認識なの。

そして、無限の住人が貨幣を手に入れるには、無限のものを交換して貨幣に換えるしかない。
パソコンの修理してあげるから、かわりにお米ちょうだい、って感じ?

人間が「人の何かを伝えたいとか、社会の中で何か認められたい」というのがゴールだとは思わない。
俺が特別に承認欲求少なすぎなのかも知れないけど、ここが最も共感出来ない。

単純に、デジタル化が進んで無限化出来るものの割合が増えたから、
それに伴って、有限でないといけないものが減るので、貨幣経済の規模も縮小する、って事じゃないかな。

とはいえ、仮に俺が哲学をすることでお金が貰える身分になったとしたら、
お金を貰うために自分の思想を曲げてしまうだろうから、まともな哲学にならないと思うんだよな。
このブログで俺がお金稼いでます、って言ったら、一気に気持ち悪くなるでしょ。

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血族って概念が家族を縛っているってあたりは、ルームシェアで実感しましたw

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あ、とくにオチはないです。
でも、この記事に書かれていた範囲のことに興味あるので、また何かあったらネタにするかも。

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