食育と習慣

自分で判断して適応したと思っていた事が、実は経験に基づくものだった、という話。


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みんな、だいたい一日三回ご飯食べてるよね。
そのご飯は、自炊だったり、外食だったり、買ってきた総菜だったり、
誰かの作ったものを食べてたりするよね。

食事って、相互理解が行われているという感覚がある。
どんなに有名な芸能人よりも、「ハンバーグ」と言われて思い浮かべるもののほうが、
みんながそれぞれに頭の中にあるものが一緒なんじゃないかって。

俺たちは全国各地から集まってルームシェアをしているという希有な体験の中で、
「雑煮」みたいな、相互理解の無い食文化があることを実感している。
お好み焼きと焼きそばが同時に出てきたら、「これはどっちが主食なの?」と確認する。
つーちゃんは「どっちも、おかずですよ」と言って、炊きたての米をよそって食っている。

実はそれが、食習慣にも当てはまるんじゃないか、という事に気づいた。

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俺たちには、外食をするという習慣が全く無い。

なぜなら「外食は高いから無理」なのだと思っていた。

でもたぶん、駅前にタダで食える飯屋が出来ても、食いに行かないと思う。
興味本位で一度行ってみる事はあるかも知れないし、
気に入って通う可能性はあるけど、今の時点では全然ピンとこない。

どうしてピンとこないのかというと、家で食べるのが当たり前だからだ。
誰かに当たり前って言われたから、とか、そうしなければならない、とかは無い。
でもなんか、長年培ってきた習慣の中に無いことは、そう簡単に切り替えられない気がする。

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俺たちは食事について何の取り決めもしていない。

まあ、「冷蔵庫の私物には名前を書く」ってくらいで、
たとえば「みんなで鍋をやる日はそれを食わなければいけない」みたいなものは無い。
だから、外食しても、総菜買い込んでも、自炊しても良い。

なんだけど、そこには暗黙の了解みたいなものが出来はじめている気がしていた。

まず、食事は、つーちゃんが自分のために作る料理のついでに作って貰っている。

俺の経験によると、リビングに居ないと、頭数としてカウントして貰えない。
実家だと、寝ててもラップをかけてとっといてくれるんだけど、それは無い。

そして、出来上がる時間を要望することは出来ない。
今すげー腹減ってて食いたい、と思った時は、つーちゃんの腹具合を確認する。
「腹減ってないんで全然作る予定ないです」と言われたら、自分でなんとかする。

料理スキルの序列のようなものがあるので、俺が作って振る舞うことはほぼ無い。
(絶対に、というほど厳格なものでもないけど)

だから俺は部屋に篭もってないでリビングでパソコンやってるんじゃないか、
と思ったことがある。食習慣がみんなの居場所を変えているのだ、と。

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なんで俺が「時間通りに飯を食う」ことよりも、
「待っててでも、つーちゃんの作った飯を食う」ことを選ぶかというと、
それが旨いものを食うための方法だから、とも言えるんだけど、
もともと実家で親が食事を作る時間が遅くて、待つ習慣が出来ていたからかも知れない。

待ってる間に適当にオヤツをつまむこととか、
朝昼飯は適当で、晩飯だけしっかり食うこととか、よく考えてみると実家と一緒。

だから昼に起きて、くぼーんの買ってきたカツとシュークリームがあった時には、
実家に常に用意されているお総菜を勝手に食べる、という習慣で解釈するのだ。

振り返ってみると、11月の「一人ずつ台所を交代で使う」やり方は、全然馴染めなかった。
一人暮らししてた時に台所に立ったこと自体が少なかったからかも知れない。

俺は別に「親の影響を受けて育つ」事に嫌悪感は無いんだけど、
自分で考えて選択したり、新しい環境に新しい方法で適応していたつもりのことが、
実は子供の頃から親と過ごしてきた食事体験に近いことに、衝撃を受けたのだった。

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