親切にされて喜ぶ人

ブログの応援メッセージを戴いて超嬉しかったので、きわどい話題に触れてみます。

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坂爪圭吾さんっていう住所不定無職の人がいて、他人に物を貰って暮らしている。

最近は会社畳んだりなんだりしてるみたいなので、今どんな暮らししてるかはわからない。
http://ibaya.hatenablog.com/

俺がたまたまFacebookのシェアかなんかでブログを読んだときには、
「もしも世の中に自分が必要なら、誰かが僕に恵んでくれるはずだ」
みたいなのを哲学にしていて、カネも尽きて腹も減ってる中支援を求めてて、
この人は最強の乞食だ! って感心したものである。

でも、しょせんは乞食なんだよね。って、冷めた目で見てたところも、ちょっとある。

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ゆるい移住が寄贈を受けることによって成り立ってるとしたら、俺らも乞食ってことになる。

実際に、鯖江生活での収支がプラスなメンバーってほぼ居ないし、
欲しいものをオープンにしていて、すげー欲しそうな感じはわりと出てしまっている気がする。
さすがに、露骨に「●●さん、▲▲をください」とは言わないけど、
「▲▲が無くて困ってるんですよねー」「誰かくんないかなー」くらいは言ってしまっている。

そして福井特有の豊かさの現れか知れないけど、言うと結構、物が集まる。嬉しい。
貰った大根は葉っぱまで調理するし、沢山の白菜も一ヶ月かけて全部食った。
使わない食器をこっそりゴメンナサイしてたりとか、完璧じゃない部分もあるけど、
貰ったものはきっちり活用しようとか、そうすることで思いに応えようという気持ちがある。

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彼らがどういう気持ちで物をくれているのかは、はっきりとはわからない。

最初だから特別だぞー、半年したらちゃんと仕事探せよー、って激励かも知れないし、
実は手伝って欲しいことがあるから、前払いのつもりであげてみよう、って作戦かも知れない。
あるいは単に、ほんとに余ってるから、捨てるくらいならあげるよ、って親切かも知れない。

幸いにして、恩着せがましいトラブルは起きたことがなく、そういう心配もあまりしていない。
だから、くれるという物は、有り難く戴いている。
貰ったもののほとんどには、暗黙の交換条件みたいなもの自体、ついてなかったと思う。

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そうするうちに、「こいつら面白いから何かあげてみよう」という興味を持たれるようにも感じた。
たぶん動物園で餌をやるような感覚で物をくれているんだと思う。

それは俺たちにとって面白いことで、だったらもっと自分たちを見て欲しいと思ったし、
貰った物は必ず贈呈式をやって、受け渡ししているところを写真に撮ってアップするようにした。
(アップして欲しくないって時にはしなかったり、単に漏れてたりもするかもだけど)

ひょっとして、俺たちは物を貰うことで、逆に「与える喜び」を提供出来ているのではないか。
恋愛とかだとたまに「尽くすのが好き」というタイプの人がいるでしょ。
でも、尽くされるのが好きって人がいないと、その人は満足できないわけだよね。

今は供給過剰な社会で、作っても使って貰えない、やりがいの無い雰囲気だと思う。
そこで自分の作ってるものに興味を示してくれたり、
あげたものを喜んでくれる人がいたら、物は減っても幸福感が増すんじゃなかろうか。

それって、「物を貰っている側の人間」が言うと、おこがましいから、言いにくいんだけど。

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1月16日のゆるパブで、「0円食堂」をやりたいって提案があった。

0円食堂ってのは、余り物の食材とかを無料で仕入れて調理するという、テレビ番組の企画。
ゆるパブでの提案には、もう一つ思いがあって、作った料理をなんとかして、
食べられなくて困っている人に、それとなく食べさせてあげたい、という話だった。

食べさせてあげる、というと、上から目線になっちゃうから、
それとなく、単に一緒に食べているという感じを醸し出すってところがポイントなのね。

その話を聞いて、現代の貧困問題の本質は、ご飯が食べられないことじゃなくて、
「ご飯が食べたい」という事を正直に告げることが出来ないからなんじゃないか、と気づいた。
極端な例で言えば、生活保護を受けて欲しい人に限って、餓死しちゃったりするってことだ。

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※「0円食堂」案は、「ゆるい食堂」に名前を改めて、ゆるパブにて引き続き検討中です。
http://yurui-iju.net/other/2566/

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俺たちは正直言って、貧乏を楽しんでいる。
もしも本当に生活に困窮したら、各々の実家に帰れば、一応食いつないでいける。
だけど鯖江で継続的に生きていくための方法を模索していて、そんなサバエバルを満喫している。
「移住者が鯖江に住もうと足掻いている」事がコンテンツとして、周囲の理解に繋がっている。

でも実際に起きている貧困問題はもっと深刻で、
家が貧乏だとクラスメイトにバレたら、いじめの対象になるかも知れないという不安がある。
同情がつらい時もあるし、貰うのが当たり前になると怪訝に思われるかも知れない。

「俺たちニートで貧乏なんで、野菜余ってたらください」なんて、無邪気な一言が言えないのだ。

でも、親切や興味や同情心で、実際に物が貰えるということは体感したので、
なんとかして、「物は気兼ねなく貰っちゃってOK」ってムードを作れないかなあと思う。
なんなら俺たちが貰った物を、本当に困っている人に横流しできればいいんじゃないかとか。

物を貰う側が心得ておきたい、最低限の礼節だとか感謝の気持ちだとかもありそうだし、
なんかうまいやり方をすれば、もうちょっと親切にしやすくなると思うんだよね。
持ち寄りで宴会やるときは会費を取らないとか、写真を残すとかも、経験から得た知見だし。

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そうやって「親切にされて喜ぶ人」がうまく地域社会に存在できれば、
富を貧困者に渡すことが金銭的にゼロサムで終わるんじゃなくて、
与える側も貰う側もハッピーな、新しい「格差是正方法」が作れるんじゃないかなあ。

重ね重ね、物を貰ってる人間が言うと、おこがましくなっちゃって申し訳ないんだけれどもね。

この記事が応援メッセージのお返しになってれば嬉しいです。
俺も、このブログが誰かの役に立ってれば、別に対価とか貰わなくても幸せだなあ。

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