二元論とのギャップ

スマホで文章書くと短絡するなあ。


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(原文ママ)

二元論になる理由は、間をグラデーションにするための終端を知覚したいから。
ここまでならいけるって感触。
だから他人が見てゆるい移住が極端に見えるのは、かたい古いふつうに対して、ゆるい新しいふつうだから。
でも俺たちは二元論のつもりで生きてるんじゃなく自然に暮らしているだけなの。
だからそこにギャップが生じる。なんか伝わらない感じになる。ということがわかった。

つくることの収束と拡散について。
定義をすることが収束。
定義を拡げることが拡散。
このうち拡散が良いかというと、そうでもない気がする。

繋がる順番。
俺たちがさばえの誰かと繋がることで、その人が繋がってる別の誰か紹介して貰える。
オープン団地はその逆の機能を持っていて、自分達自身がハブであろうとすることで、
誰かと別の誰かを繋げることができる上に、俺らもいろんな人と繋がれる気がする。

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きちんと清書して書き直そうかと思ったけど、ブログばっか書いてて疲れたのでまた今度。

二元論の話だけ補足しとこう。

□-------------▲-------■


□:悪い例(普通という古い価値観とか、東京で消耗してる人とか)
■:良い例(新しい価値観で生きてる人とか、田舎に移住した人とか)
▲:実際の自分

他人から見ると、ゆるい移住ってのは■に見えるんだけど、
俺たちは▲だと思って過ごしてるし、特に■になろうって意識も無いので、ギャップがある。
という話。

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