虚像と争わない

「争わない」部分は、タオの受け売り。

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特にネットだと、「●●という人がいるけど、私はそうじゃなくて▲▲だと思う」
という論調で書かれている文章を、ものすごく沢山見かける。
(この書き出しでさえ、同じ体裁に陥ってしまっている・・・)

このブログではよく使っている悪い例だけど、「田舎の良さ」を伝えるための構造は、

1. 読者を「都会の人」だと勝手に決めつける
2. 「都会の人」に「お前は間違っていて馬鹿だ」と喧嘩を売って、文章に気を引かせる
3. 真実とは田舎にあり、と、田舎自慢をする

という体裁に陥りがちだし、特に2番は炎上商法にあたるので心穏やかではない。

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これを「一例として、こういう馬鹿が居た」と言い換えれば、一見喧嘩では無くなる。

1. 都会のみなさんこんにちは
2. 東京で行われたアンケートによると、多くの人が生活にストレスを感じているそうです
3. 田舎に引っ越せばストレス源のいくつかから解放されるので、元気に暮らせます

これは炎上狙いではなくなったけど、読者に向き合った記事であるとまでは言えない。
読者の感覚がアンケートと完全に一致するわけではないからだ。
「俺は別に都会生活にストレスなんて感じてないしー」と言われれば、それまでなのだ。

いや、アンケートに該当する人だけ読んで貰えればいいんだよ、って割り切るのは、
結局、自分にとって都合のいい虚像を作り上げて、それを否定するだけの独り相撲だ。

そして、田舎自慢の記事は、田舎者には刺さる。自分を肯定してくれる痛快な記事だからだ。
それで都会人不在のまま、「そうだそうだ! 田舎は素晴らしい!」と盛り上がるわけだ。

それって意味なくね?

真に読者と向き合う気があるのなら、都会の話をもっと掘り下げた方が共感されると思う。

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ニュースサイトやFacebookのシェアだと、2番だけが記事として掲示されることがある。

2. 東京で行われたアンケートによると、多くの人が生活にストレスを感じているそうです

ここには、多種多様な立場からのコメントが寄せられるのだけど、
やはり「アンケートに書かれている内容から組み立てた虚像」の否定にしかならない。

2. 30代の女性が婚活をして、結婚相手に年収の高さを望んだ

という記事があったとしたら、本当に伝えたい内容は、

3. 男性は頑張って年収を上げて、30代の女性と結婚しましょう

という風になるのが自然なのだけど、この記事を読んだ男性には、
「30代の女性は金にがめつい(ので結婚しにくい)」という感覚が刷り込まれて、偏見になるのだ。

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どうにかして、これを3番だけ書くように出来ないものかしら。

3. 田舎に引っ越せばストレス源のいくつかから解放されるので、元気に暮らせます

とか

3. 30台の男性は頑張って年収を上げて、同年代の女性と結婚しましょう

だけ書くの。

相対的な優位性から幸せを感じる生き方は、常に競争に晒されて苦しいだけだから、
自分の中に絶対的な価値観を築き上げて、自己完結型の幸福を追求しましょう。とか。
(あ、これも、同じ体裁に陥ってしまっているな・・・)

Facebookの投稿って、社会批判か、自己満足か、どちらかに偏りがちだ。
自分がやる前は「いっつもポジティブな近況ばかり発信して気持ち悪いSNSだ」と思ってたけど、
いざ始めてみると、悪口とか批判はさっさと読み飛ばして、自慢話ばっかり見ている。

「いいね」としか言いようのない、他愛の無い話が、結局一番心に刺さるのだ。

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