ゆるい移住の消極的定義

「サバエバル」という、良い言葉が既にあったりするけど、意味は違う。


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まだ未確定なので噂話とか妄想の体で言うけれど、
ゆるい移住第二期が、4月募集開始、7月入居開始で実施されるイメージをしている。

そうなると俺たちも色々気になることがあるわけで、
どんな人が来るのかなーとか、こんな人が来るといいなーとかも思うのだけど、
少なくとも、誤解されたくないなー、こんな風に思われたくないなーって気持ちがある。

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一つは、ゆるブロを見て、「これがゆるい移住だ」とは思って貰いたくない、という事だ。
あれはあくまで江戸しおりの個人的な活動記録ないしは宣伝活動であって、
男子部屋とは全然関係無いし、あれを読んでも女子部屋の実態を知ることも出来ないだろう。

バンキシャで取材したいから河和田に水を汲みに行ってください、なんてのも、
映像映えはするかも知れないけど、ただそれだけのもので、報道的価値は無い。

それなら夜のワークショップをさぼってワイン会に出ている所とか、
元カレを振って今カレに乗り換えるところとかを取材した方が、
ドキュメンタリーとしては価値があるだろうけど、そうはならないんだよな。

別に、江戸しおりに男子部屋の事を書け、という話ではないし、
他の参加者もゆるブロに書くべきだ、という話でもない。

ただ単に、ブログを書きたいと立候補した一参加者が望むように書いているものだし、
そこには筆者のスタンスやポリシーというものが現れているだけなので、
ゆるブロを見て「ゆるい移住は観光したりブログ書いたりしないといけない」などと、
誤解を与えることで敬遠されなければいいな、というわけである。

(ゆるいアレは非公認の裏ブログであり完全主観なので、言わずもがな)

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もう一つが、「ゆるい」という言葉の扱い方だ。

この言葉は結構使い勝手が良くて、なんでも頭に「ゆるい」をつければブランドになる。
ゆるい移住に限らず、ゆるい公務員、ゆるパブリック、なんてものがあったし、
若新さんが、ゆるい就職、とか言ってたり、そもそも、ゆるキャラだって流行ったわけで。

数ヶ月暮らしてきて、この言葉に救われた事は物凄く多かった。
だからこそ「ゆるい」状態をキープする事には物凄く気を遣っている。

最近見たJK課のブログに、こんな事が書いてあった。

JK課のコンセプトである「ゆるい」。これは、不真面目やいい加減にという意味ではなく、ガチなメンバーも、ゆるいメンバーも両方いていいということ自体にゆるさがあるという意味だと今回再確認しました。

それは違うんじゃね?

問題提起をしたJKの子が言いたいことはわかるんだよ。
JK課が「ゆるい」というコンセプトであるが故に、かたい活動を提案しにくいんだと。
だから、ゆるいだけじゃなくて、多様性を受け入れて欲しいんだよ、って事なのだろうと思う。

でもそれは、JK課のコンセプト自体を広げたい、ということであって、
「ゆるい」という言葉の意味を変えてしまうことでは無いんじゃなかろうか。

かたいものも「ゆるい」に含まれることにしましょう、なんて言ってしまうと、
もはや「ゆるい」とは何なのかが、きちんと表現できなくなってしまう。

越前市役所IJU課みたいに、自分たちは精一杯ゆるくなったつもりでも、
外から参加してみると、どうもかたい印象がするような組織になっちゃうと思う。

ゆるい移住のメンバーだって、たまにはかたい事を言う。
住人がゆるくて、それを支援する市役所がかたい部分を補ってくれてるのだと理解している。
誰も、かたいことを拒絶したり否定したりすることは無い。
きちんと「かたい」概念と向き合った上で、ゆるさを追求するからだ。
かたさが無いとゆるくなれないし、ゆるいとも知覚出来なくなってしまうのだ。

ゆるパブなんかは、「大人の遊び」というコンセプトを打ち立てた事によって、
機材や環境はかたく、目的や活動はゆるく、みたいな使い分けがうまく出来ていると思う。

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すごい雑に言ってしまえば、「ゆるい移住」を定義しないで欲しいんだよな。

「ゆるい移住とは何か」という問いかけに対して、
それは、これこれこういう意味である、と結論づけることは、そぐわないのよ。

こうじゃないかな? いやいやこんなことかも? と思索に耽ることは楽しいけど、
これだよね! と確定した途端、「ゆるさ」というのは損なわれてしまう。

だから、定住の約束なんか出来ないし、生き方の決めつけなんかも受けられないの。

第二期生が来るとしても、ゆるい移住が何なのかは自分たちが模索するものである、
という部分は必ず担保されていることが、楽しむための前提条件だと思うのよ。

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それを踏まえた上で、ゆるい移住第一期の(特に12月と1月の)男子部屋を定義するなら、
「生きる」という事がコンセプトになったんじゃないかなーと思う。
なんでそうなったのか、思い当たる節は沢山あるけど、はっきりとはわからない。

家賃無料にすることで、依存心が強くて何もしない参加者になるのを避ける為に、
自主的な活動を促そうという姿勢を受けていたら、貧乏暮らしが楽しくなってきたとか。
いろんな人からモノを貰って生きていく方法について真剣に考え始めたとか。
節約とか手伝いとかの中から、喜びとか幸せとかを追求するようになったとか。
忙しくて何も出来なくなることが無いように、暇を作ることを徹底しているとか。

それは全部「生きる」ことに結びついているような気がする。

そして残念なことに、ゆるブロ、ゆるパブやJK課など鯖江の団体、ネット等の周辺情報からは、
俺たちのやってる「生きる」という活動実態を感じることは、なかなか出来ないのだ。

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