宴会集合知。

寄贈文化が資本主義を超える瞬間には、知性が芽生えていると思う。


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カネでやりとりするのでなく、モノでやりとりをすると、
金銭的価値だけじゃなく、知性のやりとりが発生するので、面白くなるんじゃないかって話。

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参加者集団において最も節約できる飲み会を考えると、

・誰かの家でやる
・採れた野菜や余っている飲食物を持って来て貰う
・業務スーパーで食材を買ってくる
・(貰った物か買った物かを問わず)飲み食いした分量に応じて会費を徴収する

という体裁になるんじゃないかな、と思う。

これでも「近くのコンビニで買ってきて、ざっくり割り勘」よりは進んでいるけど、
中心は業務スーパーの食材なので、資本主義的な飲み会だと思う。

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これが寄贈文化を中心とした飲み会になると、

・誰かの家でやる
・なんでもいいから持って来て貰う
・こっちも何か買っておく
・会費は徴収しない

ということになる。

この飲み会で資本主義的に一番有利なのは、
「何も持って来ず、大量に飲み食いする」ことなんだけど、実際にはそうならない。

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そして、うまくいくと、自分たちの完全なセッティングよりも良い結果が得られる。
業務スーパーで買えるものより、良いか、珍しいか、価値のあるものに出会えるのだ。

高いものの価値を体験すること。

俺たちの買い物するときの価値観は、安いものに偏っている。
男子会計から一番搾りを買うことは無い。セールの発泡酒を買う。

大きい冷蔵庫や多機能な電子レンジだって、これで良かったと有り難がっているのだけど、
もし自分で買うとしたら、最安値を探して買って、詰め込めなくて不便だったりしただろう。

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それは、物に「気づき」がある、ということだ。

使ってない中古の何かをタダで貰えたからラッキー、というだけの価値じゃなくて、
自分たちが買い物をするという行為よりも、物と一緒に価値の寄贈を得ることで、
体験だとか知識だとかが増えていって、それ自体に新しい価値を生んでるような気がする。

俺たちは自腹でペットボトルのお茶を買うことは無いけれど、
こないだ買ってきてくれた人がいた時にやたら好評だったから、
次からはお茶も用意しておくようにしようか、とか、そんな感じで。

コンビニで定価で買うんじゃなくて、湧き水でパックのお茶を作ればいいことなので、
高いから良かった、というわけではなく、お茶に気づけたことが良かったの。

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そう考えると、「手作りの料理」の価値というのは、愛情を込めて作って貰っただけでなく、
「これを自分たちで作れないだろうか?」と考えるきっかけにもなってくれる。

美味しいおでんを戴くという経験を経て、圧力鍋を持ち込んで、ふろふき大根を食べよう、と、
食事体験自体のレベルが上がっているのだ。
その後、鍋にスライスした大根を入れて、しゃぶしゃぶして食うように発展している。

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イヴイヴパでは、「貰い物はしっかり提供者と品物の写真を撮って残そう」と決めた。

それは、「宴会の後で部屋にこんないいものが残ってたけど、誰がくれたっけ?」
という会話が結構あって、申し訳ないし、しっかり感謝したいから、記録しようよ、
だったらサンタ帽かぶって、お土産もって、写真撮ったら楽しそうだね!
って流れで発展したので、「感謝」が主体なのだけれども。

でも、そこからさらに汲み取れる気持ちみたいなのがある気がしている。

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たとえば「ノンアルコールのビール」なんて、ちょうどいいよね。
「僕が車で来たので、自分用です」なんて動機なんだけれども、他の人にも喜ばれる。
自宅に住んでて酒飲み放題の俺たちは、なかなか気が回らない部分なわけですよ。

昔は「なんで部屋にこんなもんがあるんだ、誰も飲まないだろ」と言ってたけど、
今では、誰かが遊びに来たときのために、しっかり冷やして準備してあるのです。

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こういう記事を(パーティーの主催側の人間が)書いていると、
あそこは気配り上手で高級なモノを持って行かないといけないから敷居が高い、
みたいに感じられてしまう部分もあるのだけど、
俺等が求めているものは礼儀作法ではないし、参加ハードルは極力下げたい。

気疲れするから、会費取って貰ったほうが気楽です、って意見もあるだろうけど、
お金で解決すると、そこから発展することは、かえって難しくなる気がする。

エスパーを求めてるわけじゃないので、
「肉が足りないです」「日本酒が欲しいです」とか情報発信も積極的にやってるつもり。
あとは、基本的に何を持って来ても、あるいは手ぶらできても、歓迎はしてるつもり。

なんかそうやって、負担感少なく、集合知が芽生えるさじ加減を模索しているかも知れない。

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