不幸と幸福は合算できない

もりんち改め、たまのもりネタ。


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誰かが自由に幸せでいられるまちについてを読んだ。

文中では、現状を「最小不幸を追求する社会」と呼び、
森さんの期待を「最大幸福を追求する」と呼んでいた。

俺は思うんだけど、不幸と幸福ってのは、合算できないんじゃなかろうか。

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俺はうるさいのが嫌いだ。

ルームシェアしている人間としては結構きつい事なんだけど、
寝ている間に耳に入る騒音が何デシベル以下じゃないと無理、みたいなくらい、ひどい。
俺は結構いびきかくんだけど、もし相部屋に俺が居たら、俺は許せないと思うw

それって、どんなに一日が幸せでも、寝る瞬間だけは不幸なんだよね。

うるさいのは仕方ないから、楽しいことを一杯増やして中和しよう、って考えても意味ない。
ノイズキャンセリングヘッドホンを買ってきて、不幸を軽減するしかないのだ。
これで、みんなで談笑してる横で昼寝熟睡するという贅沢も実現できるわけ。

「うるさくて眠れなかったから、楽しい一日が台無しだわー」って思う事は、
時系列に並べたときに、最新の体験が過去の結果を上書きしているだけであって、
「今日飲み会した +100点」「うるさくて寝付けなかった -70点」「差し引き +30点」
だからまあオッケー、みたいな判断って、成り立たないような気がする。

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なんでそんな話をするのかというと、この一文が気になったから。

むちゃくちゃなことを言ってるのはわかってるんだけど。
早く、しあわせが数値で測れるようにならんかなあ、と思う。

実は、俺が昨日の日記で「自分たちが幸福に過ごしていることを説明するモデル」
というのが、まさに「しあわせを数値化すること」だったのだけど、
その中で「カナシミ」はマイナスの数値なのか、という事も考えたんだよね。

その場での結論としては、「カナシミ」は、幸せとは別ベクトルだろう、と思った。

それに気づいた時に、経済ってのは、結構怖いな、とも思った。
不幸も幸福も、すべてはお金で解決されてしまうんだもの。

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「労働をする」上で、ずっと嫌だった考え方がある。

それは、給料は「迷惑料」である、という考え方。
こう考えることで、理不尽や不名誉に耐えた事を慰めるわけだ。

でもそれって全然生産的じゃない。
不幸を積み上げて、それを現金に換金しても、ぜんぜん幸福にならないのよ。

別に「労働に喜びを求めろ」みたいな意識高い系の主張をする気は無いんだけど、
「生活のために糞みたいな仕事を愚痴りながら続ける人生」は、カネでは癒やせないから、
収入を減らして(できれば不幸も減らして)、
その上で別途、幸福を得ることに時間を注いだ方が、楽しい人生になるような気がする。

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