安い政府

会計に都合のいい生活形態についての考察。


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「ゆるい移住にはこんな人が向いています」という記事を書こうか悩んだんだけど、
それは俺が訴えるような事じゃないよなーと思ったのでやめた。

とりあえず、自分が向いてるかどうか気にするような繊細さは、無くても参加できると思う。

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そうじゃなくて、俺が言いたいのは、「会計をやってると、こんな人が都合がいいです」って事だった。
会計の都合で参加者を選ぶのは多様性に対する敗北だと思うのだけれども、
ぶっちゃけ負けてもいいくらい、枠組みに余裕があったほうが、会計はやりやすい。

ゆるい会計を成り立たせる原則は「生活に最低限必要なものをシェアする事に全員が合意する」ことにある。
これは、節約のための方法論なので、個人的に金をかけることで拒否することも出来る。

たとえば、お風呂場には、共用のボディソープのボトルがある。これは一本200円。
出てくるのは合成洗剤っぽいやつで、あんまり質は良くない。だから俺は石鹸を買って使っていた。
けれどシャンプーは各自で買うことに決めたから買わなかった。俺は一本550円のを買った。

そしたら最近、たぶん団長だと思うんだけど、アジエンスのシャンプーが置かれ始めた。
(冷蔵庫と風呂場は)名前書いてないものは共用ってルールなので、これは自由に使える。
この状態のほうが正しい気がするんだよな。共用シャンプーがあると、一応誰でも風呂は使えるわけだ。

トイレットペーパーは合議制で、ダブルロールにするって決めて買った。
これはシングル派が居なかったからだけど、誰も個人用のを買い足したりはしていない。
でも、ティッシュは共用のがあるのに、結構個人でも買ってるんだよね。鼻セレブとか。

これらを振り返って整理すると、

・全員の好みが合うなら、共用のみで済ませるのが一番気楽
・好みが合わない場合でも、安物を共用したほうが便利
・共用のものが嫌なら自腹で買って名前を書いて置いておけば良い

というのが、最適解になる。

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冷蔵庫の中の食材は、10月は料金制、11月は個人主義、12月は共用だった。
何故毎月変わったかと言うと、住んでる人が違ったから。

10月は俺と森さんだけだった。そして途中から買い出しはすべて森さんだった。
俺は冷蔵庫の中身か森さんの料理を食べるときには、お金を払って解決した。ちょー単純明快。
ちなみに、二人しかいないので持ち物に名前を書く必要は無かった。

11月は、人数が多かったうえに、食事を別々に済ませていた。
冷蔵庫にはおおよそ個人の領域があり、そこに好きな物を置いて食っていた。
シェア食材もあったが、あまり手を付ける人自体が少なかった。俺は結構飢えることになった。
誰かが料理を作って勧めても、何人かは食べなかった。好き嫌いも多かった。
シェアハウスに慣れている人が多かったので、きっと彼らにとってはそれが普通だったのだろう。

12月は、みんなで買い出しに行って、みんなで一緒に食うことが多い。
出されたものは何でも食うし、特に希望が偏ったりすることも無い。鍋に入れた物はすべて無くなる。
業務スーパーの支払いが男子会計に組み込まれるようになったのが大きな変化だ。
個人的にはこの状態がベスト。最も負担感が少ないし、お金もかからないし、沢山食える。
買い出しには車が要るのでガソリン代も会計に組み込もうという話が挙がったが、もちろん歓迎した。
おやつとか追加で食べたかったら自分で買ってきて食ったり配ったり食ったりした。

それらと並行して、貰い物で過ごしたり、パーティーの余りものを食べたりした。

これらを振り返って整理すると、

・飯はみんなで分け合って食った方が旨いし楽しいし安い
・さらに追加で食いたいもん買うのは個人の自由
・パーティーを開いて余りものを戴くと節約になる

というのが、最適解になる。

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これは別に、好き嫌いをする人やシャンプーにこだわりのある人に来て欲しくないという事じゃなくて、

・共用で最低限の暮らしが出来る第一段階
・自費で好きなことが出来る第二段階

という風に分ける状態が、会計兼ゆるい住民としては過ごしやすかった、という話だ。

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これって、一般的な経済活動に置き換えられないだろうか。

今はフィンランドのベーシックインカムとかが話題になっている。
労働賛美をする人は「仕事をしないと生きていけない状態にしないと、人は仕事をしなくなる」と言うし、
俺はそれなら仕事をしなくても別にいいんじゃないかと思っているのだけれど、
「とりあえず最低限のライフラインが確保されている状態」って凄い後ろ盾だと思うんだよな。

生活費が必要だからって薄給で違法な労働を仕方なく続けるような価値のない人間にならずに済んだり、
精神科に通って障がい者認定を受けてお金を貰うこと(国の費用負担)も軽減できたり、
老後のために無駄に貯蓄を積み重ねて貨幣の循環を停滞させる恐れも無くなったりと、
「生活が保障される」ってのは、制度の一本化による行政コストの削減よりも大きな価値があると思う。

シェアハウスがあって、最悪相部屋で良ければ生きていけるし、米と野菜は出るよ、って事になれば、
この仕事って社会的にぜんぜん意味ねーよなーって労働をやらずに済ませて、
本当に社会ニーズのある仕事か、あるいは単に自分がやりたい趣味的な仕事に専念できる。

そうすると結果的に質の高い仕事が出来て、実は経済的にも効果が高くなったりしないかなと。
節制と清貧の上で、仕事の価値を突き詰めていったら、逆に大金持ちになりました的な。
ま、それは都合よすぎかもしれないけど。
でも少なくとも「生きるためにヘイコラする糞みたいな日常」って意識では無くなるよね。楽しいね。

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だから、冷凍庫には業務スーパーの安い肉を常に入れておきたいし、
キムチ鍋するよーって言ったら豚肉を奪い合って食える12月会計は、過ごしやすいなあと思ったのでした。

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