老成円熟

やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話」の話。

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森さんとは結構いろんなとこで思考のピントが合っていると思う。

だけど、二元論を用いて話してる時は、あんまりピンとこない。

若新さんの「かたいvsゆるい」二元論は、まだわかる。
「都市計画vsまちづくり」とか。
おかげで我々は「ゆるい主役+かたい支援」という枠組みを作りつつある。

でも、前に言ってた「より道vs実験」も、
今回書かれている「やりたいことvsありたいすがた」も、
対立軸じゃなくて、両方とも持ちうるものなんじゃないの? って思う。

引用元の「ビジョン型」と「価値観型」もそう。
ビジョンはあるけど価値観はありません、って、しっくりこないでしょ。

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俺の意見は「人生のレール」に書いた。

「どうなっていれば幸せか」という価値観の押しつけは常にある。
まあ、勉強して東大に行っていい会社に勤めれ、みたいなやつのことだ。

彼にとって「なにがやりたいの?」ってのは、
「せっかく東大に行ったんだから何かを成し遂げるんでょ?」
ってプレッシャーなんだと思う。

巷のサラリーマン同士なら、なんとか社にお勤めの方に対して、
給料いいんすか? 結婚されてるんですか? お子さんはおいくつ?
って質問をすることはあっても、
やりがいありますか? なにしたいんすか? 何の為に生きてるんですか?
って話をすることは、仲のいい人との夜中の飲み会くらいしかない。

糞みたいな仕事の愚痴を言っても、あんまり見下されたりしないけど、
フリーターやってるとか独身だとか言うと、もっと頑張れって話になる。
所得税を払うことと、出生率2.08を超えることが最低条件みたいな。

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ところが、なぜかそういった監視社会的な圧力を受けていない人たちがいる。
老人だ。
お年寄りは「長生きしてください」としか言われない。

三人子供を産むことには、人類の繁栄って意味がある。
地球の人口を増やすことが人類にとって良いことなのかはさておいて。

そして、カネを増やすことは、経済的発展って意味がある。
個人が労働して税金を払うことが最高効率なのかはさておいて。

もしも老人はがこういった社会的圧力を受けることがあったなら、
「要介護認定されたら社会不適合者とみなす」とか、
「年金受給開始年齢になったら死んで社会に貢献しろ」とか、
そういう話が出てきてもおかしくないのだけど、そうはなっていない。

若い頃は必死に働いて、老後には好き勝手に暮らす、ってレールは、
今となっては何の保証も無いことが明白なので、受け入れがたい。
それで、時代に合わない古い概念に、違和感が出まくるわけだ。

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じゃあ老人に死ねっていうのかっていうと、そうじゃなくて、
別に若者同士で「長生きしようね」って言い合ってもいいんじゃない?

何がしたいとか、どうなってたいのかとかじゃなくて、
「どうぞ元気で長生きしてください」で済むのって、凄いことだと思うんだけど。

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