非言語領域

あるいは、ライターというより作家の領域だよな。ポエムとかな。

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「ゆるい移住とは何か」というテーマを、もりんちの人が、ちょくちょくふっかけてくる。

最近は対談記事づくりに興味を持ったらしく、俺が第一弾になるような感じらしい。
その対談の時の話は、11月13日の日記に、さらっと書いた。

公式のほうには秋吉の話が出てて、「ゆるい移住は居場所」って見解が書かれてるんだけど、
あれはもはや一週間以上古い感想に過ぎない。
秋吉一口ロマン」を書いたのは11日だ。

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人と話すときって、わりと演繹法(えんえきほう)が自然に使いやすいんだよね。

「なんでゆるい移住に来たのか?」「旅行の勢いだから深い意味は無い」
「それなのにどうして楽しいのか?」「みんなに親切にして貰ったから」
→ゆえに、動機よりも親切心のほうが楽しさに影響している、みたいな。

これは、対談記事とか、台本のような形式の小説を書くと、表現しやすかったりする。

ブログ記事のような体裁だと、不完全帰納法(きのうほう)がネタ的にも使いやすい。

・たこやき屋で300万円とか言うじゃん
・秋吉で社長とか言うじゃん
・頼むときは数十本とか一気に頼むじゃん

→つまり、金持ちを演じるママゴトなんじゃね? みたいな。

これだと、統計学的根拠とかを無視して突飛な例を複数挙げるだけで自己主張が出来るし、
「○○と△△は似ている」という気づきが、別の何かで連想の助けになったりもする。

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ルームメイトは対談を通じて相手の人間味を引き出し、それを面白い記事にしようとしていた。
端的に言えば、その人にしか書けない文章にしか価値が無い、というスタンスだ。
ゆるい移住の公式ブログに、鯖江の観光案内記事なんかイラナイ、と言うのである。

その上で、ゆるい移住に参加する人たちを2段階のステップに分けた。
ステップ1は「寄り道」。自分の人生の「なぜ」を探す段階の人。
ステップ2は「実験」。人生の目的が定まっている上で「どうする」を探す段階の人。

なのだけど、今日の対談の相手は、ステップ2からステップ1に戻ってるんだよね。

ライターになるのが夢で、実績づくりのために鯖江に来た、って所は確かなのに、
今は仕事をなかば放置して福井でデート三昧なんて、一体どうなってんの、と問い詰める。

その答えは、「女ってのは男で変わるものなんだよ」という噛み合わないものだった。
福井に来て、今まで興味の無かった結婚生活に憧れを持ち始めて、
ひょっとして移住しちゃってもいいかなーって気持ちになったし、
私が幸せでいられるんなら、別に自分が変わっちゃってもいいんです、と返すのだ。

理屈の男と、感情の女、みたいにレッテルを貼って終わらせてもいいんだけど、
この「噛み合わなさ」自体がちょっと面白いんじゃないかな、と思った。

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俺が思うに、「ゆるい移住は居場所」という結論は、もはや陳腐だ。
確かに男子部屋は居場所として機能させる狙いがあるし、それは実際に人を引き寄せたけど、
その心は、人の気持ちの発生にある。

「システマティックな愛」という言葉が女子に受けたので一つ良い例を挙げると、
ゆる移パーティー第一回で俺が試みた「会費ゼロ」チャレンジは、
みんなに「何か持ち寄ろう」という意識を持たせて、過剰なまでの食糧が集まった。

これがもし「会費」だったなら、ホストとゲストの関係は崩せなかったと思う。
ちゃんとお金を払ったのに、どうして皿を洗わないといけないのか、とか、
千円も払ったのに、もも肉じゃなくて胸肉だったとか、そういう感想になりかねない。

ところが持ち寄り制にすると、参加者の方から、
「洗い物をせずに先に帰っちゃってごめんね」というコメントすら戴けたりするのだ。
「本日はおもてなしをありがとうございました」というより、気持ちを感じる。

まあ、ちょっと負担感が大きすぎたので、次はもうちょっとささやかにしようとか、
やりすぎた事への反省点はあるのだけど、
それでも「会費ゼロ」は、気持ちの発生に繋がっているシステムだと思う。

「家賃無料の団地」もシステムだし、「農業、就業、起業の義務ナシ」もシステムなのだけど、
それは舞台装置に過ぎなくて、本質はそこに人が触れたときに生じる産物にあるのだと思う。

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そして、それを言語化することは非常に難しい。
というか、つまらない。

「家賃無料の団地が、愛のある居場所づくりにとって重要な舞台装置の一つだった」
という、俺の率直な感想を言語化して述べることは、おおよそ誤解のほうが大きいだろう。

「家賃を無料にして住まわせたら有り難がってくれるので地域活性化に繋がりますよ」
というのが、ゆるい移住の本質だ、みたいに言われたとして、誰が喜ぶんだろうか。

鯖江市民は、家賃タダにしてやったんだからキリキリ働け、という感覚になるし、
移住者は、タダだから居てやってるだけで別に鯖江はどうでもいい、ってなってしまう。
そこに愛は無い。

テレビの取材とかで「伝わる回答」が出来なくなったのは、
我々が言語化出来ない領域に足を踏み入れて、心地の良さを感じるようになったからだ。

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愛に生きている彼女に「きちんと説明して」と迫るさまは、ちょっと滑稽で、
今まで頭が良くてからかい上手だった彼が表現に苦しんでいるという逆転状態は、割と楽しかった。

「勝手なことをする女の子」って表現のほうが、まだ的確に彼女を捉えている気がしているw

まあ、それでも、なにかしら良い記事に仕上げてくれることでしょう。

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