レベルあげ

今回は若新さんリスペクト記事ってことで。


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社会的に成功しても埋まらない「充実感」の格差 ~社会性と自分性 "マネジメント"からの逃走 第36回:PRESIDENT Online - プレジデント
http://president.jp/articles/-/16619

を読んで。

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ドラゴンクエスト(通称、ドラクエ)という国民的ゲームがある。

世界中の国々を巡って、困っている人を助けて、
経験値とゴールドを貯めてレベルアップして強くなり、
最後には悪の大魔王を倒して、世界の平和を救う、みたいな事をする遊びだ。

この遊びをしていると、しばしば「レベルあげ」という現象に遭遇する。
あえて同じ場所に留まって、同じような敵を倒して、経験値とゴールドを多く貯めるのだ。
すると、必要以上に強くなるから、あとで楽に敵を倒せるようになる。

「レベルあげ」は単純作業でつまらない、とよく愚痴られているのだけど、
それでも大魔王を倒せるレベル40台を通り過ぎて、無駄に最高レベルの99まで上げちゃう人も多い。

そんで、続編が出るにつれて、大魔王より強い隠しボスみたいなのを入れたりして、
後付けで「レベルあげする意義」が追加されたりもしていたな。

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最初のドラクエが出来た時、レベルは進行度の目安として考えられていたらしい。
たとえば、レベル10ならまだアジアだね、20だからそろそろヨーロッパかな、みたいな。

それが、オンラインで新しい世界が追加される仕組みのある最新作になると、
「新しい世界でいち早く活躍出来るように、最高レベルを常にキープしておこう」
という風に変わって、レベルが最高じゃない人は社会不適格者みたいに扱われはじめた。

そうなるともう、レベルあげなんてのは苦痛でしかないし、
「頑張ってレベルを99にした」努力から充実感を得ることも出来ない。
「ああーやっと終わったよー」「おつかれー」みたいな感じ。

それでも「今晩どう? レベルあげに行こうぜ」なんてのは楽しいお誘いだし、
みんなでメタルキングを倒して「経験値うめええ!」とか喜びを分かち合うといい気分になる。

だからこそ、「レベルあげなんて面倒だからゲームから無くせばいいのに」って人がいても、
実際にはレベルの概念の無いゲーム(いくつかある)を楽しく遊ぶのは難しかったりする。

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「次の世界が追加されるのに備えてレベルを99にしておく」ことと、
「どうなるかわからない老後のために定年まで貯金を続ける」ことって、似てるんじゃない?

社会のレールのために単純作業を我慢して続けて、
レベル99になるまで楽しさは一切感じませんでした、なんて人は、
その後のゲームに対して、楽しい感情を得るのも不器用だ。

ドラクエ最新作の恐ろしいところは、誰と一緒に敵を倒したとか、いつレベルが上がったとか、
結果だけじゃなくて、要点となるプロセスも記録されることだ。
それを見たら(非公開にも出来る)、その人がどんな風に遊んだかもイメージできてしまう。

でも実際に他人を知るときも同じだよね。
Facebookにアクティビティは流れるけど、年収や貯蓄額なんて書かれていないもの。
それって「社会性」そのものが変化してるって事なんじゃなかろうかね。

年収が高くなっても、やっかまれるから自慢なんて出来ないし、婚活でも言いたくないけど、
こんだけ仲間が居て、毎日楽しく過ごしてます、って情報には、
この人とパーティーを組んで一緒に冒険したい、と思わせるだけの価値がある。

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若新さんの言う「自分性」に話を繋げたかったけど、あれは俺の言うところの「ロマン」だわ。
人によっては「ロック」って言うかも知れないけどね。

ロマンチックに生きるのは楽しいぞー!

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