ゆるさ

「ゆるい」という状態を人為的に発生させて、それを維持することは、結構難しいと思う。

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当初は、事前合宿で自己紹介の時間があるという話だったので、
名古屋からS市に移動しているあたりで、何を言おうか考えていた。

F県のこととか、意気込みみたいな話はよくわからなかったので、
話すなら、参加を決めた経緯の話か、自分の出自の話だろうなと思っていた。

経緯の話は「動機」の記事で書いたとおりで、これは口頭でも話したのだけど、
人数が予定より多かったので時間が十分に取れなかったとかで、自分の話はできずじまいだった。

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北海道には「ゆるくない」という方言がある。
困難であるとか、大変である、という事を意味する。

「あずましくない」という言葉もあるのだけど、「あずましい」という言葉は使われない。
ちょっとトラブルに見舞われたりしたときに、「あずましくない」とは言うけれど、
普段の状態を指して「あー、今は、あずましいわー」みたいに使うのは不自然だと思う。

つまり、道民というのは、普通の状態で既にあずましいし、ゆるいのだ。
だから「あずましい」「ゆるい」という表現をわざわざ使う必要が無い。
普通の状態が保てなくなったときに、はじめて「ゆるくない」と表現するわけだ。

なので、私は、素でゆるい人間だと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

というようなことを、自己紹介として説明しようかな、と思っていた。

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S市の人は、「ゆるくない」ことを「かたい」と表現していた。
契約手続きとか、真剣な話し合いなんかが、「かたい」部分にあたるらしい。
たぶんだけど「まーまー、そうかたいこと言わずに」の「かたい」だと思う。

だから、S市の考える「ゆるい」というのは、恐らく許容を意味するんだと思う。
何でもオッケー、ウェルカム。いいよ! というのが「ゆるさ」なのだ。

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しかし、参加者の間で、この「ゆるい」という言葉の解釈に齟齬が生じ始めている。

テレビの前でカッコつけたり、市の期待に応えるべく情熱的に活動することや、
インターネットやソーシャルメディアを活用して連携を密にすることは、
言ってしまえば「意識の高い行動」なので、テンションを合わせると疲れる。

なので、「ゆるさ」を尊重して、もうちょっと疲れないようにしましょう、
みたいな意見が挙がり始めている。これは有意義な意見だし、正当性もある。

でも今度は、この流れに沿って、活動の萎縮が始まってしまっていて、
移住準備や相談はおろか、雑談すらしにくいムードになってしまっている。
積極的に話しかけるのは空気を読まない行為、みたいに扱われてしまうような感覚がある。
インターネットでバシバシ会話する奴は情報強者! ゆるくない! って感じだろうか。

せめてネットだけは開通してくれないとまずいのだけど、なかなか話が進まない・・・。
光ファイバーの開通って、2週間切ってても間に合うものなんだろうか。

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なんとなく今の所、参加者に共通している価値観は、「事なかれ主義」のような気がする。
誰かリーダーみたいな人がグイグイ決めてくれればいいと思ってる人が多い。

でも、目的に向かって突き進むチームのリーダーなら出来るであろうコントロールも、
無目的に好きなようにやって、不満があったら言うだけ、の集団相手だと成り立たない。
別にゆるいのが悪いって事じゃなくて、ゆるい集団のリーダーをやりたがる人はいないと思うんだ。

だから結局、聞いてるのか聞いてないのかわかんないような曖昧な合議制の中で、
とりあえず適当に進めちゃうような、しっかりしない組織体制で進めるしか無い。
あるいは、少しでも場をまとめようとしてくれる人に対して、敬意を惜しまず、支援するかだな。

ゆるさの異文化交流、みたいな話。

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